中南米を旅するサイト Latin America Travelers
中南米を旅するサイト


神秘の遺跡チチェンイッツア (メキシコ)

国旗
チチェンイッツアロゴ

壮大なマヤ文明の複合都市

チチェンイッツア
戦士の神殿横の列柱越しに見た「ククルカンの神殿(エル・カスティーヨ)」

チチェン・イッツァはユカタン半島のマヤ古代都市の中で最大の規模を誇る後古典期(西暦900年〜)の遺跡です。建築群は、北と南の地区に分けられ、北はメキシコ中央高原に君臨したトルテカ文化の影響を強く受けたトルテカ様式、南はユカタン半島西部に花開いた後古典期の都市群に見られるプーク様式の建物になっています。
 この遺跡は、均整の取れた美しいピラミッド「ククルカンの神殿」で有名ですが、その他にも、戦士の神殿、天文台、球戯場など、規模が大きく見応えのある建築物が多く、マヤの遺跡巡りでは絶対外せない重要な場所です。

チチェンイッツア地図

チチェンイッツア地図

遺跡の中心地域。入場して遊歩道を進むと、ククルカンの神殿の前に出る。遺跡はかなり広い上、気温が高く、日差しがきついなどの問題があるため、見学時間は余裕をもって計画した方がいい。チチェン・イッツァへ行くには、カンクンの旅行社が出しているツアーを利用するのがベスト。自分で行きたい人は、カンクンの1等バスターミナルから出ている定期バスがある。チチェン・イッツァ行きのバスは本数が少ないが、本数の多いメリダ行きのバスに乗ってチチェン・イッツアで降りることもできる。

 

ククルカンの神殿へ

遺跡のエントランスは立派な建物になっており、昼前は大勢の観光客で溢れ、チケット売り場にも行列ができていました。


遺跡の中に入ると、ピラミッド神殿に続く通路の両側に物売りが店を並べ、通過する観光客に声を掛けています。こういう光景は他の遺跡でもあるのですが、これほどたくさんの露店が並び、物売りが声を掛けているのはここだけです。まあ、地元の人たちの生活のためには仕方ないのかもしれません。


メインの通路を5分ほど歩くと、突然、「ククルカンの神殿」という、最も有名なピラミッド神殿の前に出ます。スペイン人はその威容から「エル・カスティーヨ」(城)と呼びました。



ククルカンの神殿は、高さ24mと中規模ですが、均整がとれた美しい姿が特徴です。この神殿にはマヤの技術の粋が集められています。一つの面の階段の数は91あり、それが4面で364。それに最上段を加えて一年の日数を示しています。この階段の下の部分には羽根毛の蛇(ククルカン)の頭が置かれており、春分の日と秋分の日には、階段状のピラミッドの側面の影がちょうど蛇がのたうっているように映るようになっています。以前は上まで登れたのですが、現在は、ピラミッドの保護のために登れなくなっています。


石を積み上げた柱が並ぶ「列柱の広場」からククルカンの神殿を見たところです。


戦士の神殿と球戯場

ククルカンの神殿の南東に位置する「戦士の神殿」です。メキシコ中央高原を支配したトルテカの建築様式になっています。この写真は、以前、ククルカンの神殿にまだ登れた時に、上から撮ったものです。


戦士の神殿の上部。羽根毛の蛇ククルカンの頭と胴(柱)が通路の両脇に置かれています。この神殿も、現在は登れなくなっています。


ククルカンの神殿の北に位置する「ツォンパントリ(Tzompantli)」です。骸骨のレリーフが施された祭壇ですが、実際に捕虜など生贄の首を刎ねて、それを並べて展示する場所だったと考えられています。

ククルカンの神殿の北にある球戯場です。マヤでは、神事として盛んに球技が行われていて、多くの都市で球戯場が作られましたが、チチェン・イッツアの球戯場は、その中でも最大の規模と言われています。手前右にあるのが「ジャガー神殿」で、フィールドの奥には「北の神殿」があります。


球戯場の壁の下部には、球技に関する儀式の様子が彫刻されています。写真下に骸骨が描かれた円形のボールがあり、右側のひざまづいた人の首から、血を示す数匹の蛇が飛び出しています。以前、このレリーフはゲームの勝者の首を刎ねているものと説明していました。死は神への捧げものになることを意味し、名誉なことという考えからです。しかし、左側に立つ勝者によって右側の敗者の首が切られたとみるほうがよさそうです。左側の人物の手に握られた首が左下に見えます。


北地区から南地区へ通ずる道の横にあるのが「大神官の墓」と呼ばれる小型のピラミッドです。近年の発掘調査で内部から骨が見つかったことからこう呼ばれるようになったそうです。ククルカンの神殿同様、階段に羽毛の蛇の彫刻が付けられています。


大神官の墓のピラミッドの上には、元々、大きな神殿が建っており、角にはプーク様式の雨の神チャックの彫刻が施されていました。その角柱がピラミッドの横に置かれています。


ページトップへ


南地区の建造物群

南地区に入ってすぐあるのが「赤い家」と呼ばれる小型神殿です。元々、赤い色に塗られていたらしく、その色が一部に残っていたそうです。


赤い家の南側にあるのがカラコル(El Caracol)と呼ばれる大きな建物です。マヤ文明は特に天文学に優れていたことが知られていますが、これは天体観測用の天文台といわれています。中に入ると、天井の部分に小さな窓が開けてあり、そこから毎日の星の動きを観察できるようになっているのです。その結果を、農作業、儀式、戦いなどに反映させていたとされています。ただ、ここも、今は中に入れなくなっているのが残念です。


カラコルの上部はかなり壊れていますが、現代の天文台によく似ています。耕作に不可欠な雨の神チャックの顔の彫刻が壁面に見えます。天文観測と農耕文化が密接に結びついていたことを示しています。


カラコルの南に位置するのが尼僧院と呼ばれる規模の大きな神殿です。大きな割にはあまり特徴がないのですが、この上に登ると、カラコルとククルカンの神殿がきれいな角度で見えるのです。ところが、ここにも上れなくなっています。


尼僧院の横にある「教会」と名づけられた建物です。雨の神チャックの顔が2層目と3層目に並んでいます。小さな建物ですが、切り石で表現したプーク様式の壁面装飾が美しいです。


尼僧院の東側には「東別館」と呼ばれる建物があります。隣にあるのは、教会(裏側)です。


東別館の装飾は教会よりさらに手が込んで美しいです。こちらは1層目と2層目にチャックの顔が浮き出ており、2層目の中央には王らしき人物の像が置かれています。全体で怪物の顔を表しているとも言われており、出入り口が口になています。口の上には歯が出ていますが、下の歯は失われています。


チチェンイッツアは数あるマヤの遺跡の中でも特に規模が大きく、建築物の多様さでも他をしのいでいると思います。それゆえに、あまりにも観光化が進んでしまい、遺跡内に物売りが多いとか、遺跡保護のためほとんどの建造物に登れないという問題があるのは事実です。写真は、以前、尼僧院の上から撮影したものです。しかし、制約があっても、この遺跡の魅力は依然として大きく、メキシコのユカタンに行ったら是非とも訪れるべき場所であるのは間違いありません。


ページトップへ


ラテンアメリカ博物館
Copyright 2021, K.Norizuki.all rights reserved,
中南米を旅するサイト Latin America Travelers
inserted by FC2 system