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ホヤ・デ・セレンはエル・サルバドルの西部に位置するマヤ文明の農耕集落の遺跡。西暦590年頃に起きた火山の噴火によって発生した火山灰に埋もれてしまったことから、「中米(メソアメリカ)のポンペイ」とも呼ばれている。ホヤ・デ・セレンとは「セレンの宝石」という意味で、この遺跡の価値の高さを示す意味で名付けられた。集落跡は、遺跡好きには物足りなさが残るが、古代マヤの農民生活を垣間見れる場所は他になく、非常に貴重だ。

 

遺跡公園は美しく整備されている

ホヤ・デ・セレンは首都サン・サルバドル市内からローカルバスで約1時間の所にある。外観は遺跡というよりきれいな公園か植物園のように見える。これは日本の国際協力によって整備された施設となったからだ。

ホヤ・デ・セレンの入り口。遺跡公園となっている。

遺跡公園内には多くの樹木が植えられており、熱帯の植物園のような感じになっている。


緑が多い遺跡公園の中を歩くと、屋根掛けがされた遺跡がある。ここは「エリア1」。


火山の噴火に飲み込まれた村

ホヤ・デ・セレンはマヤ文化圏の南東端に位置しているが、この地域で農業集落が成立したのはかなり古く、紀元前1200年ころと見られている。ところが、近くにあるイロパンゴ山の噴火によって、この一帯は荒廃し、誰も住まない土地となっていた。再び人々が住むようになったのは西暦400年ころで、やがてセレンの村も形成された。

ところが、590年ころ別の火山であるロマ・カルデラ山が噴火し、村は厚い火山灰に埋もれてしまったのだ。幸い、村民たちは避難することができたようで犠牲者の遺体は発見されていない。ただ、急いで避難したため、家具や食器などの日用道具はもちろん、食べかけの食事まで残された。噴火によってもたらされた低い温度の火山灰が村をすっぽりと包み込んだため、遺跡の保存状態はかなり良好なものとなっている。

内部が迷宮のようでユニークな作りの家とされるエリア1の「構造物12」。女性のシャーマンが使っていたのではないかと推測されている。

エリア1の「構造物11」。丸い場所はキッチンだったと推測されている。

エリア2にある規模の大きい家。左から母屋「構造物2」、貯蔵庫「構造物7」、スチームバス「構造物9」。


エリア2の「構造物9」は、儀式の際に身を清めるために使ったテマスカルと呼ばれるスチームバス。


公園の庭には「構造物9」のスチームバスを再現したものが置かれている。下で火を焚くことで水を沸騰させ、蒸気を上部の室内に取り込んで身体を清める仕組みだ。


ホヤ・デ・セレンで最も大きな建物だというエリア3の「構造物3」。重要な集会に使われたと推測されている。

エリア4の「構造物4」。エリア3の「構造物3」に隣接して建てられている。

併設の博物館

遺跡公園の入り口付近には付属の博物館がある。小さな施設だが、遺跡から発掘された土器などが展示されており、ホヤ・デ・セレンがどのような遺跡だったかが理解できるようになっている。

発掘された土器。大きな壺に描かれた模様が面白い。


マヤらしい絵が書かれた皿。


ホヤ・デ・セレンへの行き方

ホヤ・デ・セレンは中米エル・サルバドルの首都サン・サルバドルの北西に位置する。市内の西バスターミナルからオピコ行きのローカルバスで約1時間で着く。






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